国際恋愛、国際結婚をしているみなさま、お相手のご家族と言葉が通じますか?
もちろん、最初は全く通じなかったけれど、ご自身の努力、またご家族の努力で少しずつ、言葉が通じるようになったという方々もいらっしゃると思います。本当に尊敬します。
韓国系アメリカ人と結婚をした私の場合、私は韓国語を話せませんし、義母は英語を話さないので、なかなか簡単にコミュニケーションを取ることができません。
義母とは一緒に住んではいませんが、お互いに思いやってそれなりに仲良くやっているのではないかと思っています。それでも二人の間に流れる言葉の問題。お互いにフラストレーションになっているのは確かです。
言葉が通じなくて義家族に顔をしかめられて落ち込んでいませんか?
結婚10年、全く相手の国の言葉を勉強する気がない私が、言葉の通じない義家族と一緒の時に、お互いになるだけ気持ちよく過ごすためにやってみて効果的だったことをご紹介したいと思います。
目次
言葉が話せないと落ち込む前に:「言葉」と「コミュニケーション」の問題を切り離す
お相手の国の言葉が日本の学校教育や日常生活にかなり浸透している英語ならまだいいですが、それ以外の国の言葉だと最初は全く分かりません。それでも耳にする機会が増えてくるとほんの少しずつ、分かってくる単語もでてきます。
みなさん、まずはそんな単語を大切にして、話している言葉から一生懸命、意味を理解しよう、想像しようとしているのではないでしょうか。
さらに「XX語を勉強しなければ」「XX語を勉強しない私が悪い」と思ったり、またきちんと勉強をしている方は「どうして勉強をしているのにうまく話せないのだろう」といったネガティブな思考回路にも陥ってしまいます。
このように落ち込んでしまうのは仕方がありません。さらにお相手のご家族が言葉のできないあなたに理解があればいいですが、理解がないとかなりつらい思いをすることになるかもしれません。私もフランス語を勉強していた時はパートナーの周りの人にからかわれたり馬鹿にされたり蔑まれたり同情されたりと、その度に不毛な落ち込みをしていました。
でもだからって、そこから毎日必死に勉強したって言葉はすぐに話せるようになるものではありませんし、外国語を学んだことのない人に外国語を勉強する大変さを分かってもらおうと思ってもそれは無理な話です。
なので、まずは心無い言葉はことごとく無視をする努力をして、新しい言葉を勉強している自分を褒めましょう。これって難しいことだけれど、でも、せめて自分だけでも褒めてあげないと。
そして、言葉の学習は細々と地道に自分のペースで続けましょう。そして私が一番大切なことだと思っているのは
まずは「言葉」ができなくても「コミュニケーション」はできると考え方をシフトして、言葉が拙くてもうまく「コミュニケーション」を取る方法を考えてみるのはどうでしょうか。
「言葉」ができないと無口になるよりは:身振り手振りで「コミュニケーション」を取る
その国の言葉ができないと気持ちは臆するし自分から口を開くことはできません。そうするとなかなか自分からコミュニケーションを取ることが難しくなります。
学校や職場など他人に囲まれている場合はそれなりの節度も必要かと思うのですが、もし相手がパートナーなら、そして義理とはいえ家族ならば、また友人と思っている人なら、なりふり構わず「コミュニケーション」を取る、「思い」や「考え」を伝え合うということのみに集中するのはどうでしょうか。
人間同士のコミュニケーション、言葉以外にも頼りになるものがたくさんあるということです。
それならば、「言葉の呪縛」にとらわれず、ただただ通じればいいと割り切ってそれ以外のスキルの向上を目指すのはどうでしょうか。
まず本当に役に立つのが「身振り・手振り」です。「はい・いいえ」「分かった・分からない」は身振り・手振りでなんとかなりますし、身振り・手振りに想像力と観察力と行動を加えることで伝わることはたくさんあります。
例えば義母と一緒に我が家のキッチンに立つことがあるのですが、料理関係はほぼ身振り手振りでなんとかなります。ただここで苦しいのは調味料や野菜の名前で、もし義母が何かを探していたなら、調味料を探しているのかフライパンを探しているのか野菜を探しているのか考えてみなければなりません。
でもそれまでの料理の手順を観察しているとこの辺りのカンは冴えてきますし、料理をしている人のくせも見えてきます。
もし調味料を探しているようなら調味料の棚を、フライパンを探しているようならフライパンの棚を開けるだけで問題は解決しますし、カンが冴えていなくても色々なところを開けて示していると探しているものは見つかるでしょう。
また、「表情を読む」というのは割と日本人は得意なので、その能力を十分発揮するのもいいかもしれません。
言葉が通じないことで気後れするとろくなことはありません。「言葉が分からなくても私はすごい」くらいの勢いでしっかりとコミュニケーションを取っていると、だんだん「言葉のないコミュニケーション」にお互い慣れてくるのだと思います。
ということで言葉以外の人間のカンを信じて言葉の通じない家族が言いたいことを感じ取りたい、そして身振り手振りを通じて私の思っていることを伝えたいと思って積極的に関わっていくこと、これがまずは大切なことではないでしょうか。
一人ぼっちでいじけないで:他の人を積極的に会話に巻き込む
言葉が通じない義家族と二人きりの場合、相手の言いたいことを理解するには自分のカンを使うより仕方はありません。
しかし周りに自分が分かる言葉と相手が話す言葉の両方が分かる人がいるなら、できることはもっとたくさんあります。まずは
例えばキッチンで私と義母がコミュニケーションを取ろうとしていて、夫がのんびりテレビをみているなら夫を巻き込みます。
また夫の兄弟も英語と韓国語がわかるので、言葉の通じない義母と二人で気まずい雰囲気が漂うと義兄弟を巻き込んで、「ねえねえ、お義母さんにこれこれはどうって聞いてみて」とお願いします。
また、さらに最近は10才の甥が少し韓国語がわかるようになっているので、義母が話しかけて分からない時は、甥を呼んで「ねえ、おばあちゃんがなんて言ってるか、おばちゃんに教えて」とお願いします。通訳をしてくれる甥は鼻高々、私もとても助かっています
なのでどんどん、周りの人を巻き込みましょう。そして
また、夫と夫の家族が私の分からない言葉で話が盛り上がっている時にも、たまには夫に「なんて言ってるの」と聞いて、少なくとも夫を引き戻してなんとなく話の流れを掴むようにしています。
そうすると言葉を発しなくても「顔の表情」なんかでなんとなく会話に参加すること、また参加している気分を味わうことができるので。
いつも一緒に何かをしなくても:お互いの世界を大切にする
このように、言葉の通じない義家族と私以外に言葉の通じる他の人がいれば話は簡単です。でもいつもそうとは限りません。
また夫と義家族が楽しく母語で話をしているときに、わざわざ参加するのも面倒くさいし、その場に座っているのも面倒臭いこともあります。
私と義母がいて夫が出かけているような状況では、私は私で好きなことをし、義母は義母で好きなことをする。
みんなが楽しく話をしているけど参加するのが面倒くさいようなら、「ごめんね、とても疲れていて眠くなってきて座ってられない」といって部屋に戻ってのんびりする。
実のところ、最初に義母が我が家に遊びにきた時は、せっかく来てくれたので夫がいなくても私がきちんともてなさなくてはといろいろと考えました。
でも一緒にスーパーにも行って、観光にも行って、なんて考えるとそれだけで疲れてしまいます。また多分、言葉の通じない私とずっとべったりいたら、義母も疲れてしまうと思うのです。
でもこれからも長いお付き合い。
そして、お互い好きなことをすればいいのです。
私たちはお互いに好きなことをしながら、たまにお茶の用意をしてお義母さんに身振りでどうぞと勧めてみたり、面白いものがあったらちょっと見せてみたり、鼻歌を歌ったりしながら、自分がしないといけないことを勝手にしています。
ただ大切にしているのは同じ空間に一緒にいることはまったく問題なくて快適だよということを態度で示すことでしょうか。
落ち込まないためにも:うまくコミュニケーションを取れなくても気にしない
こんな感じでゆる〜くコミュニケーションを取ろうとしていますが、それでも相手が言っていることが分からない時は分かりません。
そしてうまくコミュニケーションが取れないことに義母が苛立っていることを感じ取ることもありますし、私も苛立つことはあります。
また夫をうまく巻き込もうと思っているのに、鈍感な夫、または仕事から帰ってきて疲れている夫がうまく間に入ってくれないこともあります。
また、そこでがっかりしたり落ち込んだり拗ねたりしていたら、ますます関係が悪くなってしまいます。
なのでうまくいかない時があっても気にしない、こだわらない、忘れるようにしています。
ケンカをするくらいなら:言葉が通じないのだから譲れることは譲ろう
最後に、自分の父親やもう亡くなってしまった母を思い出しても、年を取ってくると今までのやり方を変えられないし、自分のやり方、考え方が絶対になってきます。
ここで違った考え方ややり方について意見を闘わせてみても仕方がないんじゃないかなと思うのです。さらに義母とは闘わせる言葉さえ通じないのです。
なので譲れることは出来るだけ譲りたいと思っています。
そしてもし譲れないことがある時には、義母と夫がいるときにさらっと夫と私の分かる言語で夫に言うようにしています。
でも、私はそれなりにスッキリするし、もし次に同じ問題が起こった時には夫が間に入ってくれるかもしれません。
小心者で事なかれ主義の私としてはこれが精一杯のところなのですが、これで今までそれなりに平和に義母とやってきているので、これでいいかなと思っていますがどうでしょう。
義家族と言葉が通じないと言うのはそれなりにストレスになります。さらにそれが年配の義両親となるとお互いにストレスが増幅してしまうかもしれません。
けれど「言葉が通じない」ということは悪いことばかりではありません。個人的にはいいことの方が多いのではないかとも思っています。
聞きたくないことは聞かなくていいし、知らなくていいことは知らなくていいのです。分からないふりもできるし、夫がうまく間に入ってくれるかもしれません。
さらに必要なコミュニケーションはうまく言葉が通じなくても身振り手振りやカンでなんとかなります。そしてこちらが仲良くしたいと思っていることは言葉がなくても通じるのではないでしょうか。
ということで私と義母の身振り手振り生活は続いていきますが、結局のところ話は通じなくてもお互いの思いやる気持ちが通じていればそれでいいのかなと思っているのですが、さて義母がどう思っているかは知りません。まあ、知る必要もないかとも思っています。