結婚は「勢い」がないとできないと言う人がいます。おそらく自分のことを考えても、それはその通りなのだと思います。色々と考え始めると「果たしてこの結婚、大丈夫?」と不安になって前に進むことができません。また色々と考えても将来、何が起こるかなんてわからないので、考えてみても仕方がないといえば、それはその通りなのです。
そんな中でもやっぱり一緒にいたいと思うので結婚するのだと思います。
結婚を決めるときは気持ちも高まっていますしお相手への愛情もマックスです。そこで少し立ち止まってもう一度考えてみてもらいたいなと思うことを、私の個人的な経験や国際結婚した友人の話から書いてみたいと思います。
そして、これからのご自身の生活がどのくらい大変なものになるかを考えてみること、そしてもしかしてこれから起こるかもしれない困難への覚悟を決めてご結婚されるというのもありかなと思うのですがどうでしょうか。
目次
どのくらいお互いの国が好きですか?
「私が好きなのは彼(彼女)なのです。なので出身国は全く関係ないのです」というのはその通りなのです。まずはお相手があってのこと、そこから恋愛も結婚も始まるのでしょう。
そして日本国内で日本人同士で結婚しても、家庭の味が違ったり生活習慣が違ったりと夫婦間の「違い」をすり合わせるのに大変なのに、国際結婚ともなると文化から生活様式といろいろなものがとても違います。
日々の不満を相手の国にぶつけがちにならない?
さてどうして私が相手の国が好きなことが大切かと考えるかというと、日々の生活の中での「違い」による不満を相手の国にぶつけがちになるから。これは特に相手のお国で生活することになると起こりがちのように思います。
もちろん自分の不満を相手の国にぶつけない方もたくさんいらっしゃると思います。でも私は人間ができていないので、新しい国、新しい生活に適応できない苛立ちを「相手の国」にぶつけてしまっていました。
例えば私はアメリカからフランスへ移り住んだらアメリカを懐かしく思い、新しく生活を始めたフランスの文句を言い、フランスからアメリカへ移動すればフランスを思いアメリカの文句を言い始めることになります。
そしてそもそもはフランスもアメリカも私の好きな国なのです。でも毎日の中で大変なこと、辛いことがある中でこんな「八つ当たり」とも言える気持ちの変化もあるということはあまり予想していませんでした。
最初にまず、お相手の国が好きかどうか、好きになれそうか、嫌いなところはどこか、その嫌いなところを受け入れることができそうか、そのようなことを冷静に考えられるといいと思います。
お相手があなたの国をどのくらい好きですか?
さて今度は相手の立場になってみましょう。
自分の国に対する気持ちというのは個人差もあるでしょうが、海外で長く生活をしていると強くなってくることもあります。その中での日本批判は傷つきます。
うちの夫は日本を嫌いではありませんが、それでも日本に全く興味がありません。それだけでも自分がとても大好きで大切にしている根本的なアイデンティティに関わるものに、相手が全く関心がないのはとても寂しいものです。
私の場合は、夫は私が日本の時事やニュースの話をするとめんどくさいと思っていると思います。興味がないから。でも私が一人で楽しく日本関連のことをしたりするのには協力的で、日本に帰ったりするのは全く問題ないので、それでなんとかやっています。
また、私の場合、夫が韓国系アメリカ人なので第二次世界大戦や歴史に関わることは夫婦や義家族で話すことはありません。なんとなく暗黙の了解といったところでこれまたなんとかやっています。
こんな感じなのでお相手が日本にとても興味があって関心のあるご夫婦や、お相手が一生懸命に日本語を勉強されている方を見ると羨ましいなと思いますが、そこはまあ仕方がないと思ってなんとかやっています。
また夫も、私がアメリカの文句をいうのを不快に思っていると思いますが(言わない努力をしてるのですが、たまにぽろっと出るのです)、でも私が根本的にはアメリカが嫌いではないことを知っているので、これまたなんとかなっているのだと思います。
私がフランスの悪口を言おうものなら許さないというお相手もありました。
大切なのは、自分が感じているお相手の国への愛着具合がお相手の許容範囲か、そしてお相手の日本への愛着具合がご自分のお気持ちにあっているのか、この辺りを少しゆっくり考えてみることではないでしょうか。
家族観や倫理観、宗教観の違いと、また違いへの寛容度をきちんと理解していますか?
「自分の国」というのはアイデンティティの大きなものですが、それ以外にもそれぞれの個人のアイデンティティを形作っているものがたくさんあります。家族観や宗教観、倫理観や経済観念もそれらの一部かもしれません。
もちろん家族観や宗教観や倫理観、経済観念は日本人同士の結婚でもすり合わせが必要なのだと思いますが、文化や生活様式の違う国際結婚だと、その違いも大きいかもしれないのでしっかりとした見極めが必要なのかなとも思います。
そしてそれを考えたとしても、それ以外のまたはそれ以上の驚くこと、予想外のことが出てくると思うのですが、まずは心構えとして見えるところから、そして分かることから、それらがお互いに受け入れられるものなのかどうか考えたいところです。
根本的な宗教観や家族観が合わないならば長く生活するのは大変かも
自分の家族や信じている宗教をとても大切にするかしないかは人それぞれです。また大切にする程度も人それぞれです。お相手の家族が好きかどうか、お相手の信じる宗教を受け入れるか受け入れないか以前に、まず自分の家族観や宗教観、お相手の家族観や宗教観について考えてみましょう。
また国によっては伝統的にお金がある人が家族全てを養うことを期待されていることもあります。そしてその家族の範囲は一体どこまでなのかという問題もあります。とても極端な例ですが私の知人で、ある国の方とご結婚したらお相手のご両親とご兄弟が経済的支援を期待してみんなお仕事を辞めてしまって困っているという話を聞きました。
もちろんそこまで極端なお話ではなくても、お相手とご自身が家族観について、そして家族・親戚・ご先祖等に係る慣習をどう思っているのか、どうしたいのかなどのすり合わせは大切かなとも思います。
例えば私の敬虔なキリスト教信者の友人は、とてもご先祖様を大切にするアジア系の方と結婚して、義家族や親戚が行われるご先祖に関わるしきたりや習慣がご自身の宗教観と合わなくて悩んでいました。
ちなみに我が家の場合、義母が大病から奇跡的に生還してからキリスト教の熱心な信者です。教会に出かけるように、改宗するようにというプレッシャーはなかなかきついのですが、それも良かれと思っての気持ちから出てきているものなので無下にもできず大変です。
私は熱心にある宗教を信じている訳ではないのですが、日本の文化や習慣の中での仏教や神道には普通に接しています。その中でキリスト教は自分のものと感じられず、そうしてキリスト教に親しみを持っていないのに、信じているふりだけをするのは失礼だとも思うので宗教からは距離を取りたいと思っています。
こんな中で義母の家を訪れているときは一緒に教会に出かけますが、それ以外は出かけていません。義母は不満だと思いますが、それなりに聞いていないふりをし、また夫を間に挟んでやり過ごしています。そして義母もそれ以上は押してこないので、なんとかなっていますが、これがこれ以上の押しになると、または夫が一緒に押してきていていたらどう思っていたかわかりません。
人が持っている家族観や宗教観は変わることがあまりないと思うので、この辺り、あまりにも自分の感じ方と違うのであれば、長く生活をするのは大変かもしれません。
宗教観や家族観はわかりやすいけれど倫理観はわかりにくい
さて宗教観や家族観は大切だと思うのですが、私がそれと同じくらいに大切だと思っているのが倫理観。
でも、この倫理観、宗教観や家族観のように観察していたり話し合うことではなかなかわかりにくいものです。そしてこれも文化が異なるとその違いも大きくなることもあるかと思います。
もちろん違法なことは問題外なのですが、違法スレスレ、また違法でないことでも倫理的に許せること、許せないことは人それぞれです。
いくつか例をあげさせてください。困難な状況にある人を見て笑う人もいれば共感を示す人もいます。逆に困っている人がいると自分が大変な状況になっても手を差し伸べる方もいらっしゃいます。これも程度問題で、あまりにも自分が思っている程度よりもその援助が大きいと喧嘩の元になります。
また例えば宿泊したホテルの備品を持って帰るとか、誰かの悪口を言うのか言わないのか、また言うならその程度や言い方、どちらかがそれらの行為や発言を「とてもひどい」と思うのであれば、一緒に生活するのが辛くなってきます。
また倫理観というのとは少し違うのかもしれませんが、マイノリティーの方々に対する態度や自分よりも弱い立場にいる方への態度、他の民族の人々に関する態度なども人それぞれ、このあたりの価値観が違うと大変です。
そしてこの辺りは知らず知らずのうちにそれぞれのこれまでの文化環境や生活習慣に影響を受けています。
もちろんこの辺りの価値観が全く一緒と言うことはなかなかないのかもしれません。でも、繰り返しになりますが、お互いに許容範囲かどうかと言うことは大切なのではないかと思っていますがどうでしょうか。
それぞれのご家族が「外国人」が家族になることをどう思っていますか?
さて「結婚」となるとお相手のご家族が健在な場合、ご家族の考えを避けて通ることは簡単ではありません。
もちろんこれはお相手やご自身との家族観との兼ね合いもあるかと思うのですが、例えばとてもご自身の家族を大切にされていて、外国人と結婚することを理解してもらえないと辛い思いをすることになります。
また私はフランス人と付き合っていた時に、彼のご家族のアジア人や日本人を見下す態度に傷つくことがとてもありました。まだ私に対する不満ならいいのです。変えようも努力のしようもあるかとも思うのですが、自分のナショナリティや国を馬鹿にされると、もう怒りを通り越して虚しくなります。
もちろんこのような状態でも、またご家族の反対があっても、お互いがきっちりと理解して話し合ってご結婚されるならいいと思うのです。
私も今となってはこんなことを書いていますが、その当時はとりあえず見てみないふりをして感情に蓋をしていました。
でもそのまま、なんの考えも覚悟もなく結婚をしてしまうと、後々とても辛くなってくると思うので、しっかりとこの辺りを見極めた方がいいかと思います。
なので最初は外国人と結婚することに好意的ではなかったけれど、そのあと、相手を知るとともにその感情も変わってくるということもあるでしょう。
なので、この辺りの見極めはとても難しいと思うのですが、やり過ごせること、やり過ごせないことなどを短期的ではなく中・長期的な視点で考えてみたいところです。
どのくらいお互いに相手の国に住んでもいいと思っていますか?
さて最後に結婚する時にしっかり話し合っておきたいと思うのは
もちろん、お相手が好きでその方と一緒に生活をしたいから結婚するのですが、そこから始まるのは日常生活です。「好き」だけでは乗り越えられないこともあるかもしれません。
まずは自分の「大丈夫」を再確認しよう
もし日本を離れる方は、日本から離れて生活しても大丈夫ですか? また街に和食レストランや日本食材店がないところでも大丈夫ですか? 日本に帰国するのにとても時間がかかっても大丈夫ですか? さらにお相手が開発途上国も含めていろいろな国を転々と移動される方なら、そのような生活でも大丈夫ですか?
またお相手の方が日本でずっと生活するかもしれない方、お相手の方がうまく日本に適応できるように、あなたは必要なサポートがきちんとできると思いますか? お相手のホームシックの精神的な支えになることができますか?
「そんなこと、きっちりと考えるから大丈夫」と思っているかもしれません。
そして「この人と結婚したい」という気持ちなのです。
一緒にいたいから深く考えずに、または深く考えた気になって「大丈夫」と思ってしまうのです。なるだけ冷静にこれらの状況を考えて覚悟を決めるのは大切なことのように思います。
お相手が言う「大丈夫」も疑ってかかって
さて「恋」や「結婚」に浮かれているのはお相手も同じことです。お相手があなたに言っていませんか。「日本でずっと生活しても大丈夫」「どこに行ってもうまく生活できるから大丈夫」「自分があなたの仕事に合わせて引っ越しするから大丈夫」
なので例えば、あなたが日本から出る気が全くなく、お相手も「ずっと日本で住んでも大丈夫」といっても、それはあなたと一緒にいたいという気持ちから、またあなたを慮ってのことで、実際に生活してみるとどうなるかわからないということも考えておくことも、もしかしたら必要なのかもしれません。
ちなみにうちの夫は、遠距離中は「君の住んでいる国の近くに異動することもできるから大丈夫」なんて言っていましたが、結局、実際に行動に移すことはありませんでした。なので、今も「引退したら日本に住むのもいいね、君のお父さんと同居しても大丈夫」なんて言ってますが、その気持ちはありがたく思いながらも、多分、実現しないなと話半分で聞いています。
なのでお相手が熱弁する「大丈夫」も話半分で聞いておくくらいでちょうどいいのかもしれません。人生、何があるかわからないのですから。
もちろん、「勢い」や「熱量」がないとなかなか結婚できないとは思うのです。またここでは便宜上「結婚」と書いていますが、制度上の結婚をしなくても一緒に住むというのは大変な決心で、生活も大きく変わります。
もちろん結婚しても一緒に住んでも、あまりにもうまくいかなければ別れて仕切り直せばいいかなと思うのですが、それでも「別れ」で受けるダメージは大きいので、できればうまく添い遂げたいところです。
そんな中で、国際結婚をする際に類似点が大きければ生活が楽になるだろうな、相違点が大きければ生活が大変になるかもしれないなと思うことを書いてみました。
くどいようですが、このような感覚は人それぞれです。また結婚や家族に求めるものも人それぞれなので、正解はないのだろうと思うのですが、これらは私が国際結婚をする前にきちんと考えればよかったなと思うこともでもあるので、なんらかの参考になればと思います。>