かーこの風薫る海外生活
Think, work and love for a happy life

プロフィール:このブログを書いている「かーこ」はこんな人

こんにちは

このブログへご訪問いただきどうもありがとうございます。これまで迷いながら彷徨いながら、それでも人生を楽しもうと思って生きてきました。そろそろ生まれて半世紀。せっかくなのでこれまでの人生で感じたこと、悩んだこと、学んだことを私の勝手な視点からいろいろと書いていきたいと思っています。

限られた環境での限られた経験なので皆様のお役にたつかどうかはわかりませんが、人生に疲れた時や悩んだ時の気晴らしに、また人生に悩んでいなくても、こんな生活もあるのかなとお気軽にご訪問いただけるとうれしいです。

まずはこのブログの始まりに、私の人生の喜怒哀楽をいくつかの視点から駆け足でご紹介したいと思います。

何をおいても好きな人と一緒にいるのが一番ですか?

そこそこ年を重ねた今なら「なんてこった」っていう目で見ることができるのですが、若い頃からかなりの年齢になるまで(もしかしたら今も?)「好きな人至上主義」でした。

付き合っている人の洋服や髪型の趣味に合わせたり、好きな人が嫌がることなら自分の好きなことでもやめてしまったり、恋人と一緒にいるために引越しをしたり仕事を変えたりと、全く自分がなく振り回されることに幸せを感じているようなそんな感じ。

実際、大黒摩季の大ヒット曲「あなただけ見つめている」の歌詞の意味を数年前にじっくり読むことがあって、これは若い頃の私のことかと思ってぞっとしました。

そんな私がそれまでの不健全な恋愛や不毛な恋愛とおさらばししっかりとした自分を持ちたいと思って20代後半に出した結論が「アメリカで生活してみること」

それなのにアメリカ留学が終わるころには、また好きになった人を追いかけてフランスで生活をしていました。この頃には「学習しない自分」に少しうんざりしていましたが、理性よりも感情に引っ張られるのだから仕方ありません。

その後、紆余曲折を経て今の夫と結婚しましたが、遠距離が避けられない出会い方をしたので、またもや「好きな人と一緒にいたい病」に悩まされることになります。

それでも40歳になるかならないかという世間一般では「四十歳にして迷わず」と言われる「不惑」の頃。さすがにここでは後先考えて行動することはなく踏みとどまり、当時、私がとても大切にしていた仕事を優先させて、遠距離結婚を続けました。

何と私も大人になったものだと感慨深いものもありましたが、こんな無理をした生活が続くわけもなく、結局は私が仕事をやめて再び「好きな人と一緒にいる人生」を歩んでいます。

半世紀人生を生きて、その大半を「好きな人至上主義」で生活してきました。しかしそのせいで痛い目にもいろいろと。ということで今、目指しているのは「自分」も「自分の大切な人も」同じように大切にすること。

このように人生をシフトしてから出会った夫には、結婚の際に「単純な疑問なんだけれど、どうして昔の彼氏のためには仕事をやめたのに、僕のためには仕事やめないの」と冗談半分に聞かれましたが、まあ、人間は変わるのです。

専業主婦になりたいですか? それともキャリアウーマン?

さてこんな私、そもそも若い頃何になりたかったのと問われると、答えは「専業主婦」。父が仕事をし母が家のことをするという家庭で大きくなったので、そして大学生の頃、結婚を考えて付き合っていた人がいたので「専業主婦」以外の選択肢は考えていませんでした。

結局、大学卒業前にお付き合いしていた人とも別れることになり、一般企業に就職しOLを7年ほどしていましたが、それでも結婚をして家庭に入ることをいつも考えていました。さすがにこの頃には専業主婦ではなく働きながらの結婚生活を考えていましたが、それでも一番は家庭、2番目が仕事という考え方は変わらなかったと思います。

そんな「家庭第一主義」の考え方が吹っ飛ぶのは留学をしたから。留学先で出会った女性たちはバリバリのキャリアウーマン、もしくはキャリアウーマン志望の方ばかりで、いろいろな考え方に触発され影響を受けました。

そして私の履歴書も、救いのない恋愛から逃げたり好きな人追いかけてアメリカやフランスで勉強をしていたら、いつの間にかそれなりにきらびやかになっていました。

そうすると、留学前には「笑いのネタ」で実現しそうになかった夢が徐々に手が届くかもしれないところへとやってきました。ここから私の人生設計は「専業主婦」から「キャリアウーマン」へ思いっきり舵をきることとなります。

それからは国際機関で国際公務員として8年間、そしてアメリカ政府系機関で3年間、かなり頑張って働いたと思います。仕事の喜びも辛さも人並みに経験したと思いますし、また海外での職場で外国人と働くということはどういうことなのかということを、私なりに理解したように思います。

そしてまた、いろいろあってアメリカへ戻ってきた2年前から専業主婦として生活をしているのですが、そうなると今度は専業主婦としての生き方について良いところも悪いところも感じるようになってきます。

世の中には「働く女性」vs「専業主婦」といった論調でいろいろと言われていますが、どちらも経験して思うのは「隣の芝生は青い」ということでしょうか。

何年もひたすら仕事のことばかり考えて働いていると、神経も荒んできますし家に帰ってもバタバタして落ち着くことができません。夫との時間も減りますし、家のこともきちんとできずにイライラします。

その後、いざ憧れていた専業主婦になってみると、まずはその開放感と自由な感じにクラクラしました。また内向的な私は外で人と関わっているよりは家で一人でいろいろなことをする方が楽しいので、そんな時間を手に入れて浮かれました。

でもそれはきっと私たち夫婦には子どもがいないし夫はほとんど手がかからない人だし、さらに私のそして夫の家族が元気だから。ありがたいことだと思っています。

こうして若い頃、夢をみた、そして恵まれたことにお気楽でいられる専業主婦になりました。でも人間は贅沢なもので、実際に手にしてみるとまたほんの少し物足らない気持ちが出てきたのも事実。

夫のことを全く考えずに自由に使えるお金も欲しいところですし、また夫とは関係のない自分の世界を持ちたいという気持ちもあります。

またコツコツといろいろな勉強をして外の世界へ出て行きたいなとも思っています。でも若い頃のように体力もないし、夫と一緒に過ごす時間も大切にしたいので、少しペースダウンをしてこれからの人生を考えてみたいと思っていますがどうなるでしょうか。

できそうにない夢を持つのは馬鹿げていますか?

さて留学をするときに「そんな勉強して一体何になりたいの?」と聞かれることがありました。その時になんとなく勢いで、そしてシャレで「国連で働くのよ」と答えました。もちろん、聞いた友人も答えた私も全く本気にはしていなくて笑って終わった話でした。

そもそもその時点で「国連」が何をやっているのかさえもよくわかっていなかった私。海外経験もほとんどなかったし、そして留学に必要な英語のテストTOEFLの初めての点数は、全く留学なんてできるようなものではありませんでした。

また日本でも会社勤めをしていましたが、全く専門性のない普通の事務をしていたので、「ウリ」になるような技能も知識もありませんでした。

でも「言霊」というのでしょうか。とても馬鹿げた実現不可能なこの「国連で働く」という夢。留学のために勉強をしている時も、留学中も、またさらに進学をするときも、いつも心のどこかに引っかかっていました。

そのあと、いろいろと進路も迷いましたし就職面接も落ちまくり、うまくいかないことばかりで混乱しました。また当時付き合っていた人にも「そんな夢みたいなバカなことを言っていないで、きちんと就職先を探して欲しい」と言われ「恋愛至上主義」の私は好きな人の期待に添いたいとも思いました。

けれど、その間にも国連でインターンをしたり、短期で働く契約をもらったりしていたのはこの「夢」がだんだんと私の中で大きくなり「冗談」ではなくなってきたからかもしれません。結局、外務省の「アソシエートエキスパート」という制度を使ってきちんと年俸のでるお仕事がもらえるようになり、最後には国連に正規職員として雇ってもらうことになりました。

留学前にはほんの冗談だった「大きすぎる夢」が心のどこかにいつも引っかかっていたせいで、気がついたら実現しているって本当に人生は面白いなと思います。もちろんその当時はあまりにも毎日が必死すぎて実感がなかったのですが。

ただ、今になって私が思うのは、夢が実現したのは「私の努力のおかげ」ではないということ。もちろん「夢を持ったこと」と「努力をしたこと」で夢への道は開けましたが、でも実現したのは本当に「たまたま運がよかったこと」と「人に恵まれていたこと」のおかげだと思っています。

でもそもそもは人が笑うような実現不可能だと思われる夢をひょんなことで口にしたことから始まったこと。大きな夢を持ってみるのもいいかもしれないと思うのですがいかがでしょう。

みんなこれくらいの辛い目にはあっているのかしら?

こんな感じで始めた国連での仕事。楽しいことはいっぱいあり、そもそもやってみたかった仕事。もう一生の仕事と思い定めていましたが、この仕事のせいでこれまでの人生で一番、思い悩むことになるとは思ってもみませんでした。

私が夫となる人と出会った時、私たちは飛行機で20時間くらい離れたところに住んでいました。その後、一度も一緒に住むこともなく結婚をした私たち。というのも私も夫も仕事をやめる気がなかったから。

そんな私が思い悩むことになるのは「子ども」について。私も夫も子どもが大好きでお互いにすでに甥や姪もいて、人生設計の中には「子ども」もしっかりと組み込まれていました。

けれどお互いにとても仕事が忙しく、そしてこんな遠距離状態で簡単にできるわけもなく、さらに晩婚で年上女房の私には残された時間はもうないにも等しい状況でした。

ここで夫の仕事の状況や夫婦の将来のことも考えて、結局は私が仕事をやめて夫と合流し治療に専念するという結論を出すのですが、これが本当に苦しく文字通り泣いてやめることを決め、退職届に署名をするときには手が震えました。

結局のところ、ここまでしても子どもに恵まれることはなく、結果的には私は賭けに負けたことになりました。この時期、私は実母を突然、亡くしたこともあってかなり「どん底」気分を味わいました。

、、、とここまで「辛い」「大変」「悩んだ」といろいろとたいそうに書いていますが、世の中のカップル、どちらも仕事をしていたり、どちらにも大切なものがあったり、どちらにも思うようにならないことがあったりすると、こんな人生の選択は珍しいことではないのではないでしょうか。

そしてやっぱりみなさん、悩んで苦しんで辛いなと思いながら、何らかの決断を下して前に進んでいるのではないでしょうか。

さて、私たち夫婦、今は強がりではなく心から「子どものいない人生」もとても素敵だと思えるようになりました。そして「幸せな人生のあり方」は一つではないということも実感することができました。全力で仕事をしていた頃に思い描いていた人生ではありませんが、これもいいではありませんか。

50歳から始まる第二の人生、さて何をしましょうか?

夢の仕事だった国連をやめ子どもも持つことのなかった私ですが、その後も転職をし、まだまだ元気に仕事をしていました。しかし国を移動しアメリカへ戻ってきたときに何だかぷっつりと凧の糸が切れたように「頑張ること」ができなくなっていました。

海外生活20年の疲れも出たのだと思います。途上国での出口の見えない仕事にこれまで情熱を注いでやってきた仕事への意義がわからなくなったこともあるのでしょう。夫のお給料だけで生活できるという経済的に恵まれた状況もあったのかもしれませんし、さらに更年期に突入する私の年齢も関係していると思います。

ちょうど、この時期にアメリカ軍で20年以上働いてきた夫が無事、退役軍人となり、同じ勤務先ですが文民として働き始めたことで、かなり時間的にもストレス的にも楽な職場に移りました。

こんな状況で私一人がカリカリしてもと思い、また更年期の体力的な辛さをやり過ごすためにもと思い切ってしっかりと休むことにして今に至っています。

それでも「長いお休み」に少し退屈してきたこともあって、今は細々と資格試験の勉強をしています。50歳が目前に迫ってきましたが、何を始めるのにも遅いということはないと思うので。

そして夫と二人夢見るのは、ワシントンDCの今のマンションのローンを払い終え、6年後に東南アジアへ移住すること。

実現するかはわかりませんが、夫と二人完全定年後に向かっての準備や計画、予定を立てている時がとても楽しいので、これからの第二の人生に向かってゆっくりと進んでいきたいと思っています。

人生は人それぞれ。そして一人一人にドラマがあるのだと思います。ただみんな人生の喜怒哀楽をコントロールしながら、そして表に全て表さないで一生懸命生きているのだなと思います。

人生の折り返し地点を過ぎた今、また気持ちを新たに人生の楽しいことを探して、今度はのんびりと人にも自分にも優しく生活していきたいなと思っています。

そしてそんな中で感じたことを少しずつご紹介していければないいなと思っていますがどうなることでしょう。

不手際もあるかと思いますが、どうか末長くよろしくお願いいたします。