海外で仕事をするのはどのような職場でもいろいろな面でなかなか大変なのではないでしょうか。もちろん海外か日本かという以前に、職場文化や上司・同僚に恵まれているかどうかは大きな要素で、それによって大変さは変わってきます。
それでもやっぱり日本で働くのと海外で働くのと少し文化的な違いを感じることがあります。そしてそのうちの一つは
でもそうなると、面と向かって言葉を戦わせて色々な意見の違いや感情の行き違いを処理することになります。そして心が折れることも。
私も最初の頃はうまくいかないことばかりで、そうするとそれが仕事にも影響して悪循環に陥っていました。
私が知っている組織でのお話しか出来ないので本当に限られた経験からの話になってしまいますが、私が仕事以前に海外の職場環境の中で生き抜くために心がけていたことをご紹介したいと思います。
自分と全く違う考え方をする人がいることを心に留めておこう
違った文化環境で仕事をしていると、話の論理がまったく通じなかったり、こちらが全く悪気のないことにすごく怒ったりと、自分からしてみると理解できない思考回路に出会うことがあります。
また逆に自分では気がひけてできないと思っていたことが、やってみると案外簡単に受け入れられたり、仕事とプライベートを大切にする程度が予想を超えていてびっくりすることもあります。
海外の職場で働く時には避けて通れないことです。
そしてその価値観の違いは自分にとって都合のいい場合もあれば悪い場合もあり、またある行動が国や文化によって良いものにも悪いものにも変わります。
こんな職場で自分の尊厳と仕事で関わる人々の尊厳を守るためにできることは、世の中にはいろんな考え方をする人がいるとことを、そして自分の善悪の判断が他の人の善悪の判断ではないことを心に留めておくことではないでしょうか。
そしてびっくりするような出来事に出会っても、驚かずに落ち着いて対応しようと心がけることではないかと思っています。というのも、びっくりしすぎるともう本当にパニックになってしまってきちんとした対応ができなくなるから。
これまでびっくりしたことは色々とあるのですが、まずはざっくりとですがいくつか例をご紹介したいと思います。
倫理観や仕事観の違いが大きすぎてびっくり
倫理観や「work ethics」の違う人というのは日本で仕事をしていても出会うことがあるのではないかと思います。
ただ日本で仕事をしていると良い悪いは別にして「周りの目」というものがあり、また「周りに合わせよう」という心理も働くので、それなりの調整力はあるのかもしれません。
しかし海外へ出てみると、良い悪いは別にしてそこは「自分は自分」の世界、倫理観が全く違う同僚や職場に出会うことがあります。
例えば、お昼休みにご飯を食べに行ってそのまま帰って来ず、4時ごろにひょっこり帰ってきたのでどうしたんだろうと聞いてみると、職場の近所の友人の家で昼寝をしてきたと悪びれずに言うとか。
他の人が苦労して書き上げた草稿を自分のものとして出し、それを最初に書いた人から指摘されると反撃に出てその人を嘘つき呼ばわりするとか。
もちろん国や文化の違いだけではなく個人の倫理観の違いが大きいのだと思います。
でも明らかに私、もしくは日本人の基準では「いけないこと」と思っていることを「いけないこと」とは思っていないことに驚くことになります。
正直なところ、自分に実害なないぶんにはあまり気にもならないのです。
そして自分を冷静に保つためには、「倫理観」や「仕事観」の違う人がいて当然といつも思っておくことが大切だと思うのですがいかがでしょう。
譲り合って落としどころを見つけられなくてびっくり
日本で一緒に育って来た人たちは、なんだかんだといっても、そこそこ近い考え方をして言わなくてもわかるという部分があるように思います。「空気を読む文化」というものです。
そしてそのように空気を読みながら、そして相手の反応をみながら色々な物事の「落とし所」を探っています。そしてそれぞれが少しずつ譲歩をしてお互いが受け入れることのできる点を見つけるということをよくするのではないでしょうか。
というのも「相手がそこまで言っているのだからちょっと譲ってあげてもいいか」なんて甘い気を起こすと痛い目にあうことになります。
さらにネイティブではない言葉で仕事をしていると最初から甘く見られることは避けては通れません。さらに新しい職場や取引相手でこれからのこともあるのでなんとかうまくやっていきたいと思っていると、どうしても自分の立場が弱くなってしまいます。
そこで「まっ、いいか、相手も気を使って譲り返してくれるだろう」と思って交渉や話し合いの最中に譲ったら、相手はこちらの「弱さ」を見逃すことなく、さらにグイグイきて追い込まれることになります。
もちろん怒鳴りあったりしているわけではなくても、穏やかに話し合っていても、油断をしていると「取れるものは全部とる」って感覚で根こそぎ持っていかれてしまいます。当然、状況にもよるので、いつもこうだということではないのですが、こんなこともよくあるよということで気に留めておいてもいいかと思います。
「良い人」になる必要なんてなし!
海外で仕事をしていて思うのは「過度の良い人」は美徳ではないということ。
普通に日本で育ってくると「良い人」になるように教えられて大きくなっていると思います。また相手の気持ちや状況を思いやることも大切だと頭に刷り込まれています。
でも海外で仕事をする上で「みんなに好かれる良い人になる」ことを目指していると痛い目にあうことになるかもしれません。
「相手へ敬意を払って」「丁寧な言葉で」「親切に」はどんな状況でもとても大切です。また、もちろん譲れるものは譲っていいですし、しっかりと話し合いをして見えてくることで自分の意見が変わることもたくさんあります。
けれど過剰な「忖度」や「気遣い」は不要。
自信がなくても自信があるふりをしてみませんか
「みんなに好かれる良い人になる」を目指さないならば、ではどんな人を目指しましょうか。私が目指していたのは「落ち着いていて自信のある人」
もちろん自分の国ではない文化も違う職場での仕事。自信なんて全くありません。あるわけがありません。
「謙虚さ」なんて忘れてしまおうよ
日本できっちりと社会生活を送るのに必要なスキルの一つに「謙虚さ」があります。
私が海外で生活し始めた頃の友人で、自分の職場の同僚を「良い人」と「できる人」にラベル付けしている人がいました。最初に聞いたときは本当にドン引きして「なんて性格の悪い」と思ったのですが、今となってはみてはその気持ちちょっとわかるのです。
みんな「できない人」とは一緒に仕事したくないのです。
そんな中での新しい職場や新しい上司、「いえ、これはやったことがないのですが」「うまくできるかどうかわかりませんが」「きっちりとしたレポートがどうかはわかりませんが、努力しましたので見てください」とか言うとロクな目にあいません。
自分の本来の能力を「能力以下」に見せる謙虚さよりも、「能力以上」に見せるそこそこのハッタリと、そのハッタリを事実にしようとする努力が必要なのではないかなと思います。
自分より弱い人間、できない人間と思われると透明人間に
これは学生時代のグループワークなどでも一緒なのですが、職場でもみんな意識的に、または無意識的に「自分にとって役立つ人かそうでないか」を見分けています。
そもそも出だしから言語でハンデがあるのです。さらに自分から「うまくできるかわからない」なんて言ってしまうと、すぐに「できない人」「役に立たない人」と思われてします。
そして、その第一印象をひっくり返すのはなかなか大変です。
というのも一度「できない人」「役に立たない人」と思われると、大切な会議や仕事の担当分けなどにうまく混ざることができなくなり、また重要な情報も共有してもらえなくなってきて、だんだん「存在しているけれど存在しない人」になってしまいます。
そうなるとさらに自分の能力を発揮できる仕事ができなくなり、また自分の得意なことを披露する場もなくなってきます。
もちろん、ここからの努力で挽回することはできます。でも、できるなら最初から自信たっぷりの人を演じてみませんか?
みんな自信があってできる人を演じている
海外の職場では同僚が自信たっぷりでいつも自分が正しいと思って仕事をしていることに圧倒されます。
もちろん驚くほど自信過剰で自分を疑うことのない人もたまにはいるのでしょうが、そうでない人が大半だと思っています。
長らく一緒に働いているとちょっとしたことで、同僚の本音がぽろっと垣間見えることがあります。そうするともちろん自信のあることもたくさんあるけれど、あまり自信のないこともたくさんあるということです。
もちろん「知らないこと」は知らないと言って聞く必要があります。でも変にへりくだる必要はありません。
自信たっぷりに「自分は能力があるのだけれど、ベストの結果を出すには少し情報が足りない」と思って「教えてもらう」のではなく「情報集め」をするのだと思いましょう。
実際一緒に仕事をしてみると、本当の能力や技能はあっという間にわかります。「できる人」感がすごい人と一緒に働いてみると実際の仕事の出来や適当さにびっくりすることもありました。
そんな世界で他の職場の「5」の能力しかない人が「8」のふりをしているのに同じく「5」の能力の私たちが「3」だという必要はないということです。
理由もなく簡単にあやまらなくても
もちろん明らかに自分のミスで、もう言い訳の仕様もない時もあります。そんな時はスッキリ潔く謝ってしまいましょう。
でも相手との関係の中で、もう「コトの善悪」よりも「相手との関係」の方が重要事項になっていて、とりあえず謝ってコトを収めようとする時もあるのではないでしょうか。
とても計算高い考え方ですが、でも敢えて言うならば、そんな時はやっぱり謝ることで得られるメリットを考えているのではないかと思います。
ちょっと観察してみるとみんな簡単に謝らないよ
例えば日常生活をちょっと観察してみましょう。職場で普通に接している同僚たち、とても良い人たちで親切で人の気持ちも分かる人たちです。
でも自分が悪いと思っていてもそう簡単に謝らないし、言い訳もいっぱいだし、その理屈っぽい言い訳や主張もだんだん聞いていると何が正しいのかわからなくなりクラクラします。
そしてもちろん私がそう思うのは、私の価値観で判断しているだけなので、相手の価値観では私がやっていることもおかしくてクラクラすることがいっぱいなのでしょう。
こうなってくると「自分が善で相手が間違っている」と思っていたことや、「相手が善で自分が間違っている」と思っていたことは、単なる「意見の相違」になります。
また相手が自分でも「悪いことしたな」と思っている状況があったとしましょう。
そんな状況でもやっぱり、多くの場合「ごめんなさい」と言うよりは「そんなつもりではなかった」「そんな大げさに受け取るほどのことでは」とかわされたり、そんな出来事はなかったことのように振舞われることも多くあります。
また全く反対の意見で言い争いをしている際に「ごめんなさいね」と相手をなだめようと簡単な気持ちで言うと、相手を調子づかせてさらに難しい状況に追い込まれるということも起こってしまうかもしれません。
謝る前に解決策や妥協点を提示しよう
また日本では謝ることで一旦、場の緊張が和んだり冷静に話し合う土壌ができたりもします。
さらにこちらが「ごめんなさい」と言うと、相手が「いえいえ、私も悪かったです」と言うことが起こるかもしれません。
でもこの日本ではよく起こることが、海外の職場では起こらないことの方が多いです。
ひどい時は「すみません」と言うと「そうだ、お前が悪いんだ」ということになってしまいます。
なのでここで提案したいのは「すみません」と謝る代わりに「I understand what you are saying」と相手の怒りに共感を示しながら、代替案や妥協点、解決策を提案して建設的な会話へ持っていくのがいいように思いますがどうでしょう。
もちろん外国と一言にいっても国によって文化の違いがあり、さらに職場の文化や習慣の違いがあり、ここで書いたことだけが当てはまるわけでは全くありません。
また日本の職場全てが、私たちが考えるステレオタイプ的な日本の職場環境で仕事をしているわけでもありません。
ただ私は海外で仕事をし始めたころ、本当に色々失敗もしましたし、後になってから自分の日本的な行動を後悔したこともありました。
そして職場で自分が快適に働けるようにといろんなことを少しずつ変えてきたので、このとても限られた経験での「私の学び」が海外でお仕事をされている方に伝えることができると嬉しいなと思います。